壮絶だった入院治療で死線を秋に乗り越え、退院後はじっと安静生活を1ヶ月ほど過ごしていたある朝、
「今朝から枯木平で炭焼き窯&小屋作りを始めるらしいから記録を撮りに行ったら?」と、集合時間の15分くらい前に唐突に父親から言われ、
写真を撮れる身体ではないものの、炭焼き窯も炭焼きも私は実際に見た事も触れた事も無いし、
作る過程を1から目の前で見れる機会は今や滅多に無いので、好奇心から軽〜い社会見学気分で軽〜く撮りに行ったはずが…
炭焼き窯の製作過程の全ての現場に立ち合っていく中で知る、石と土を相手に何から何までの重労働作業の連続。
今回は村の共同作業での窯作りで、ユンボーも大活躍だったが、昔は山の中で1人で窯を2日ほどで作り上げて、周りの炭焼き窯と競うように火入れをして炭焼きの煙を上げていたという。
炭焼きは、かつてはこの地での生業の1つであり、日常風景であった。
そして、この地で30〜40年前まで炭焼きをしていた現在70代半ばの3名の古老たちが長いブランクを経て、先頭に立って実際に再び作ってみせた気概や気迫。
彼らが亡くなれば窯を作れる人はこの地域から居なくなり、歴史は時の流れに消え去る。
個人的に遺作の覚悟の下で2年前から開拓史を緻密に調べて編纂している最中で、関連の有る郷土の歴史にも向き合ってるので、
これは地域の歴史として次代に記録を形にして遺すべきものなのでは?と撮ってるうちに思い至り、
付きっきりで撮り続ける羽目になってしまった、30〜40年ぶりの炭焼き復活を追いかけた2週間。
窯の重要な部分に用いる『あま石』という軟らかい石を採りに、山の中に同行したのを皮切りに、
埋もれた過去と現在を繋ぎ、それを未来へ繋げる為に、雨の中、40〜50年前まで実際に使用していた炭焼き窯の跡地を撮りにも行った。
季節は雪景色となり、時には凍てつく猛吹雪の中、指先の感覚が無くなっていく中でも撮り続けた。
ほぼ連日朝8時から、その日の作業が終わるまで基本的に立ち合った。
身体は、毎日極限状態。無理は絶対に厳禁な身体。それでも撮らなければと踏み込み続けた。
過程を細かく撮り続けていた私に、「一体何枚撮る気なんだ?」と最初は笑っていた古老の先生達も、
いつの間にか「自分達の窯作りの工程を記録にしっかり遺してくれ」と言うようになり、
挙げ句、「自分達が死んだら、(作業工程の全てを詳細に見ている)お前が先生になるんだから、頼むぞ!」と古老の1人から言われる始末…
…えっ、私がルール・ブックでいいんですかい!?。。。ニヤリ(笑)
私の写真なんざ下手の数打ちレベルなのに、次第に責任重大になっていく。
作業中や合間には苦労話や昔話に様々な花が咲く。私の世代にはどれもこれも貴重な話ばかりだった。
例えば映画の話だと、開拓史絡みで八甲田山の雪中行軍の事を最近調べていたのだが、実は映画のロケ地の1つが枯木平で、炭焼き窯からすぐ近くで、
古老達から聞く高倉健や北大路欣也たちが来た時の裏話は、私には感涙ものだったし、 (…ただ、小説も映画もフィクションだらけで、事実とはだいぶ異なる事を最近初めて知って心底ガッカリだが)
築城400年祭で再上映される『夢の祭り』も、ロケ地の1つが枯木平の畑だったりする。
主演の柴田恭兵が枯木平に来た時は常盤野小中学校でも大変な話題になり、放課後に子供達が精一杯おめかしして撮影場所に観に行ってた記憶がある…。
苦労の末に作り上げた炭焼き窯は、いざ炭焼きを始めてみると、かなり扱いが難しい窯だった。古老達でさえ、こんな窯は初めてだと言う。
記念すべき1回目の炭焼きは、灰と煙だった…
その後も昔の経験測が何故か通じない、まるで『炭焼きの仕方を忘れた窯』状態が続き、思うように炭の量が出ない。
付き合う私も、1週間の撮影予定が、どんどんどんどん翌日また翌日に延び、写真の締めくくりが見えなくなっていく…。
思うようにいかなかった原因は、手作業できっちりやるべきだった要の作業部分を、重機に頼り過ぎた作業をしてしまった為に構造的な問題が生じてしまったようである。
窯は来春改めて補修し直すとの事で、今回は思うような結果にはいかなかったが、それでも今回は本当によくやったと思う。
かつての記憶と経験を頼りに実際に立ち上がり、次の世代に遺す為にも、あちこち痛み衰えた老体に鞭打ちながら、果敢に窯を1から作り始め、窯に火入れをして炭焼きをやってのけたのだから。
今回、特に一番苦労した写真が、炭出し後の窯の内天井だった。
生木が自然発火するくらいの高熱で石が赤くなっている窯の内天井はとても神秘的で、どうしても撮りたくて、どうしても伝えたくて、
傍に数秒も居られない高温の窯入口から、あと1秒で火傷、あと1秒で安物カメラのボディやレンズが溶ける…限界まで何度も踏み込んでは挑戦してみたが、あまりに熱すぎて私には最後まで切り撮れなかった。
2週間で撮った写真は、9154枚。
これから上限300枚の写真を選んでアルバムを作り、枯木平の公民館に贈呈するのだが、
下手の数打ち写真から、果たして、何枚が使い物になるのか… その現実に、すでにパソコンの前で頭を抱え、無理がたたって肉体的に私は灰になりかけているけれども(苦笑)、
アルバムを早くまとめて老戦士たちに届けたい。
